東野圭吾作品の世界

東野圭吾著作の書籍からその世界観を独断と偏見で解釈します!

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「殺人の門」を読んでイライラする人続出!?

小説「殺人の門」のアマゾンのレビューには、多くの人がこの小説を読んで主人公にイライラしたことを書いています。

読者をイライラさせるこの「殺人の門」という小説の大体の内容は、以下のようなものです。

 

主人公の田島和幸は歯医者の家に生まれ、裕福な幼少時代を過ごしていた。しかし、祖母の死をきっかけに次々と不幸に見舞われていく。その不幸へと導く中心人物が幼なじみの倉持修である。彼は、その饒舌さで和幸を次々と騙し続け、和幸をどんどん不幸へと陥れていくのである。そんな倉持に和幸は殺意を抱くが、なかなか行動に移すことができない。殺人者になるために自分に欠けているものは何なのか?和幸は、なかなか殺人の門をくぐることができないことに苦悩していく。

 

殺人の門 (角川文庫)

殺人の門 (角川文庫)

 

 

  

以上が大体の内容なのだが、読者がイライラしているのは、もちろん殺人になかなか踏み切れないことではなくて、倉持修になぜ何度も騙されるのかという点である。

イライラする気持ちは僕も分かるのだが、「こんなに簡単に騙され続けるなんて、こんなバカな者はありえない」とまで酷評する人がいることには疑問に感じます。もし自分が主人公の立場なら絶対に騙されないと確信しているからであろうが、果たして本当にそうでしょうか。

 

小説というのは伏線を張るのがルールです。伏線も無しにいきなり「実はこうだった!」というのは、小説では完全にルール違反です。つまり、この「殺人の門」の読者は、倉持修が騙しているという前提で読み進めているわけで、今回も騙すとはじめから分かっているから、騙される主人公にイライラするのです。

 

しかし、現実ではどうでしょうか?騙されているかもしれないと思いながらも騙されていく人はごまんといるのが現実ではないでしょうか。それは、現実世界では小説のように伏線で忠告してくれるわけではないからです。

 

あなたは、現実でも騙されることはないと100%言い切ることができますか?