ガリレオシリーズ【聖女の救済】は、なぜ映画ではなくTVドラマになったのか?
ガリレオシリーズの長編2作品目となる「聖女の救済」が、来週の月曜日(6月17日)と再来週の月曜日(6月24日)の2週に渡って放映されます。
- 作者: 東野 圭吾
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2012/04/10
- メディア: ペーパーバック
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なぜ、長編3作品目の「真夏の方程式」が先に映画公開され、「聖女の救済」がTVドラマでの放映になったのか、両作品を読むと、なんとなくその理由が分かるような気がします。
「真夏の方程式」は、この小説の舞台となっている海辺の観光地の風光明媚さがこの小説で起きる事件に深く関わっていることもあり、視覚的効果を存分に表さなければならない作品であり、それが映画向きと判断されたのではないでしょうか?それに比べ「聖女の救済」は、視覚的効果はそれほど重要視される作品ではないということでTVドラマに落ち着いたのではないかと。
さてさて、作品の発売日の順番通りに「真夏の方程式」より前にテレビで放映される「聖女の救済」。映像を媒体とした作品としてどのように仕上がっているのか、観るのが今から楽しみですね。
ところで、小説の「聖女の救済」の話になりますが、実はタイトルの意味を取り違えておりました。
てっきり途中までは「容疑者であるこの聖女のような女性を救済したい」という草薙刑事(ガリレオ湯川の友人)の想いをタイトルにしているのかなぁと思っておりましたが、最後にはそういう意味でのタイトルではなかったことが分かります。それは、この小説のトリックにも大きく関わる話で完全なネタばれになってしまうので、小説の中で確認していただきたいですが。
アマゾンのレビューでこの作品に辛い評価をしている人は、このトリックが現実離れしていることをその理由にしていることも多いようです。
ただ、フィクション小説でなぜ現実離れを問題にするのかが僕には理解できません。小説の中でも、ガリレオこと湯川が発する「虚数解」という言葉で作者自身が現実的にあり得ないことと示しているにも関わらず、そこを批判の対象とするのはナンセンスだと思えるからです。
そこより、なぜこの容疑者である女性を「聖女」としたのか、そこは少し疑問です。「聖女」と書くほどの「聖女」にはどうしても思えないのですが…。