東野圭吾氏の「分身」を読んで考えたこと
東野圭吾氏の「分身」を読んで僕が一番考えさせられことは、この小説が伝える内容とはかなりかけ離れているかもしれない。なぜなら、それについては、この小説ではあまり深くは書かれていないからである。
それでも、僕が一番考えさせられたのは、血のつながりと親子間の愛情についてである。
よく「子供が可愛くない親はいない!」と言われるが、その理由は、大概の場合、子供は自分の分身のようなものだから、と理解されているからであろう。分身と言われる所以は、自分の遺伝子を引き継いでいるからである。つまり、それが良く言われる「血のつながり」というものなのでしょう。
確かに、人間というのは、自分に似たところがある者に親しみを感じやすいものです。同じ土地の生まれであったり、同じ学校に通っていたり、同じ趣味があったり、それだけでも、そうでない人と比べると、明らかに親しみの度合いが変わってきます。ましてや、顔や性格が似ている自分の子供であれば猶更のことでしょう!親しみの度合いが極限まで強くなったもの、それが「愛情」というものなのでしょう。
しかし、実際には、間違いなく自分の子供でありながら愛情を感じていない親がいることも確かです。僕から言わせると「自分の子供が可愛くない親はいない!」というのは嘘っぱちです。そう思っているのは、子供が可愛いと思っている親だけです。自分の子供だけど、ほとんど愛情を感じていない親がいることは明らかです。
その反面、血のつながりが全くないのにも関わらず、子供に目一杯の愛情を注げる親もいることも紛れもない事実です。「育ての親」と呼ばれる親たちのことです。僕自身、自分の父親が実の父親ではなく育ての親であったので、そのことは確信しています。
ということは、親が子供に愛情を注ぐ理由は、決して血のつながりだけではないということが分かります。
では、親が子供に愛情を注ぐ理由は一体何だろうと、この小説を読みながら、ついついそんなことを考えてしまうのです。
もちろん、血のつながりがその一つの要素であることは間違いありません。しかし、育ての親が子供に愛情を注げるのには、そこにどのような基盤があるのでしょか?
こんなことは、本当は理屈で考えることではないのかもしれませんけどね。
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