東野圭吾作品の世界

東野圭吾著作の書籍からその世界観を独断と偏見で解釈します!

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「悪意」は、東野圭吾氏の悪意が満載の小説でした!

この「悪意」という小説は、その内容よりも、小説の構成や視点がとても興味深いものでした。

 

小説の構成としては、犯人の手記に刑事・加賀恭一郎の考察がその都度絡んでいくという手法が用いられています。手記というのは、普通自分の体験や感想を書き記すものなので、そこには書き手自身の真実が書かれてあると読者は思い込んでしまいます。しかし、それ自体が作者、いや、犯人のフェイクであり、加賀恭一郎は洞察力でそのフェイクを暴き、犯人は小説の半分も終わらないうちに逮捕されることになります。

 

そこで読者は、「真犯人がこんなにすぐに捕えられるはずがないので、この自供した犯人は誰かを庇っており、真犯人は別にいるに違いない」と考察します。しかし、この読者の期待は裏切られることになります。犯人は最初に逮捕された者で、あとから真犯人に取って代わることなどありません。

つまり、作者の視点は読者に犯人を推理させるというところにはないわけです。

 

では、作者の視点はどこにあるのか?それを考えるのがこの小説の一番のだいご味となります。読者は犯人の手記に幾度となく騙されます。そこには、著者・東野圭吾氏の悪意さえ感じるほどです(笑)

しかし、それを刑事・加賀恭一郎が我々読者の見方となり、どんどん暴いていき、やがて真実へとたどり着くことになります。

 

事件ものを扱った小説で感動させる手法として、「人間関係のドロドロしたものを十分に見せておいて、その根底には実に美しい人間ドラマがあったことが最後には暴かれる」というのがよく使われるが、この「悪意」という小説はその真逆に位置するものだと思う。

 

爽やかな読後感を望む人にはあまりお勧めできない小説かもしれない。

悪意 (講談社文庫)

悪意 (講談社文庫)