東野圭吾作品の世界

東野圭吾著作の書籍からその世界観を独断と偏見で解釈します!

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犯人が明らかにされないまま終わってしまう推理小説

加賀恭一郎シリーズには、一風変わった小説があります。それは、最後まで読んでも犯人が明らかにされていないものです。つまり、「犯人は読者が推理してください」で終わってしまっている推理小説なのです。

その小説とは、以下の2つの小説です。 

私が彼を殺した (講談社文庫)

私が彼を殺した (講談社文庫)

 
どちらかが彼女を殺した (講談社文庫)

どちらかが彼女を殺した (講談社文庫)

 

 「私が彼を殺した」では容疑者が3名。「どちらかが彼女を殺した」では容疑者が2名。推理の難易度は「私が彼を殺した」が少し上だと思います。

 

「私が彼を殺した」では、容疑者3名の視点から描かれており、「どちらかが彼女を殺した」では、殺害された女性の兄(警察官)の視点で描かれています。

 

どちらの方が感情移入して読めるかと言うと、やはり被害者家族の視点で書かれている「どちらかが彼女を殺した」の方になるでしょう。

しかし、物語の構成としては、「私が彼を殺した」の方が面白かったと僕は感じています。

2012年2月に講談社から発売された公式ガイドブックの「読者1万人が選んだ 東野圭吾作品人気ランキング」では、僅差ではありますが、「どちらかが彼女を殺した」の方が評価が高かったようですが。

 

「私が彼を殺した」では、容疑者3名の独白という形式で書かれているので、手記である場合と違って、ミスリードを狙って意図的に嘘の事実や感情を書くことが出来ません。だから、独白の中でその辺をどこまで明らかにするのか?が非常に重要なポイントになってきます。

 

事実や感情を明らかにし過ぎると犯人が容易に分かってしまい、推理小説としては当然に面白くありません。だからと言って、推理の糸口さえも見つからないほどに隠し過ぎてしまうと、これまた推理小説としての面白みが欠けてしまいます。

この辺のバランスが非常に難しいと思うし、東野圭吾氏の描き方が絶妙なので、構成的に面白いと感じたのでしょう。

 

興味がある方は、是非犯人探しに挑戦してみて下さい。