宗教家には受け入れられない「変身」という小説
「霊魂は存在するのか?」
この小説「変身」は、霊魂の存在を真っ向から否定しているように感じます。なので、宗教家の人が読めば、きっと顔をしかめることでしょう。
- 作者: 東野圭吾
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1994/06/06
- メディア: 文庫
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この小説「変身」は、事故(事件)で損傷した脳の一部に他人の脳を移植された青年の物語です。
手術後、青年の心優しい性格が徐々に影をひそめ、移植に使用された脳の所持者の性格にどんどん変貌していくという、現実に自分の身に起こったらと考えると、身の毛もよだつような話なのです。
霊魂が本当に存在するとすれば、決してこの小説のような現象は起きないと考えられます。
霊魂存在説を取るならば、肉体というのはあくまでも現世での借り物に過ぎず、その肉体を動かす起点となる心の有り様そのものが魂であると考えることができ、例え、脳の一部が他人とすげ替えられたとしても、それは単に借り物である肉体の一部に過ぎないので、自分の心が消失していくなどあり得ないということになるわけです。
しかし、こういう考えも成り立ちます。
もし、霊魂というものに肉体上の居場所があって、それが脳の一部分だとするならば、そこの部分がすげ替えられれば、自分の心が消失して、その部分の脳の持ち主の心に取って替われてしまうということがあり得るかもしれません。
でも、この仮定では、心が一気に変貌しないと辻褄が合わないことになり、この小説が描く徐々に自分の心が失われていくという状況とはやはり異なります。
なので、やっぱりこの小説では、霊魂の存在を真っ向から否定していると考えざるを得ません。だから、宗教家の人たちは、決してこの小説「変身」で描かれている内容を受け入れることができないのではないかと思うのです。
ただ、東野圭吾氏自身が霊魂の存在を信じていないかというと、それは正直分かりません。別の小説「秘密」で、霊魂の存在が前提となる小説を書いているからです。
じゃあ、私自身がどう考えているかと言うと、
『霊魂が存在して、あの世や来世があると考えた方が夢があるんじゃない』
と感じる程度です。
正直、霊魂が存在しようがしまいがどちらでもいいと思っています。
それは、霊魂が存在しあの世や来世があったとしても、逆に、霊魂は存在せず自分の生がこの世限りだとしても、自分の生き方が変わることはないであろうなと思えるからです。