東野圭吾作品の世界

東野圭吾著作の書籍からその世界観を独断と偏見で解釈します!

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小説【赤い指】の「赤い指」は母の愛だった!

東野圭吾作品でのシリーズものといえば、「ガリレオシリーズ」と「加賀恭一郎シリーズ」が圧倒的に人気が高いようです。

 

ガリレオシリーズと加賀恭一郎シリーズの違いは、ガリレオシリーズは短篇が主であるのに対して、加賀恭一郎シリーズは基本的に長篇(短篇は、6作品目の「嘘をもうひとつだけ」のみ)で出版されています。

この違いは、ガリレオシリーズが犯罪の科学的解明に主眼を置いているのに対して、加賀恭一郎シリーズが人間ドラマに焦点を当てていることにあると僕は理解しています。

 

加賀恭一郎シリーズの7作品目となる小説「赤い指」も長篇小説であり、この小説の中には人間ドラマとして“3つの親子愛”が描かれています。

 

この小説を簡単に説明すると、近所の幼女を殺害してしまった息子の犯行を隠蔽しようとする両親と幼女殺害の捜査をする警察とが対峙する物語です。

この物語には、以下のような“3つの親子愛”が描かれています。

  1. 息子(前原直巳)を守ろうとする両親、昭夫・八重子の息子への愛
  2. 昭夫らを正そうとする母・政恵の息子への愛
  3. 刑事・加賀恭一郎と父・隆正の親子愛

 

少しネタばれになってしまうが、直巳の犯罪を隠蔽しようとする昭夫らは警察に追い詰められたあげくに母の政恵が幼女を殺害したと警察に嘘の自供をします。母・政恵は痴呆症になっており、責任能力で罪には問われないだろうという判断で、最終的にそういう結論を昭夫らは導きだしたわけです。

 

しかし、実は母・政恵は痴呆症ではなかったのである。昭夫の妻・八重子と折り合いが悪かった政恵は、自分が痴呆症のフリをすることで家庭内に波風が立たないようにしていただけなのです。そうとも知らずに昭夫らは政恵が痴呆症だと思い込んで、大した罰を受けないだろうと判断し、政恵に罪をきせて自分たちの息子を守ろうとしたのです。

 

「私は痴呆症じゃない」と政恵が昭夫らに本当のことを明かせば済むことです。しかし、そこが親の愛。どうしても息子の方から自分たちの間違いに気づいてほしかった。その手段が「赤い指」だったわけです。

 

これ以上は、是非小説でお楽しみ下さいね!

赤い指 (講談社文庫)

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